断にその根拠があるとみられるから、衝突防止の見地からは注意を他の対象に向けることではなく、注意を他の対象に向ける根拠となる判断に視点をおき、危険がないとなぜ判断したかについて議論を進めることが必要と考えられる。
相手船を視認していなかった操船者の注意は2のとおりであり注意の向けられ方については基本的に前述したところと変わりはないと思われる。相手船を視認していないから見合い関係に存在する衝突の危険と周辺事象に存在するかもしれない危険との比較はなく、操船者として現在の航行環境の中で必要と認められる対象に注意を払っているということであろう。
相手船を視認しなかったのはなぜかという問題は、衝突隻数に相手船を視認しなかった船舶の占める割合が大きいことを勘案すると衝突防止という面から重要な問題であるが、ここで取り扱う問題とやや離れるので別途検討の要があるとのみ指摘しておきたい。
五、操船者の判断基準
船舶の運航技術および海上交通
法令に関する知識に通じた船員のみによって行われる海上交通において、船員が操船者として見合い関係における状況をどのように判断し注意していたかを前項までに述べてきた。見合い関係における状況は千差万別であるから、判断および注意についてこれを定型的にとらえることはできない。
事故発生との関連からみると、双方の操船者の判断に差異があること操船者に衝突の危険についての認識がないかまたは暖昧であるために相手船から注意がそれることが問題点として指摘されよう。
相手船から注意がそれることについては、衝突の危険はないという判断がその根拠となっているから、問題点として残るのは操船者の判断に差異が生じることが多いことおよび衝突の危険の有無の判断ということになるが、これらはそれぞれの操船者の判断の仕方に帰結するものであるから、ここでは、操船者の判断の仕方の基盤となる判断基準に視点をおいて考えてみたい。
操船者の判断は、基本的には学習で得られた知識および経験によって培われた知識に基づいてなされる。船員の業務は現場作業であり、また、船舶の航行が船舶の操縦性能や気象、海象等の自然条件の影響を受けやすいこと、地域ごとに水路事情が異なることなどから経験に負うところがより大きいといえる。
船員の経験は乗船した船舶による航海において得られるが、その内容は大洋を航行するもの、沿岸海域を航行するもの、港湾を活動の場とするものなど乗船する船舶および航行する海域によって異なってくる。また、船型または船種によっても航行の態様は異なるし、地域によって特殊な航法があり、慣習的になっている航法もある。
このように船員は、乗船する船舶によって異なる航行環境や操船感覚をもとに経験を積み重ねていく過程で判断基準を形成していくことになるが、特に操船感覚は大型船、小型船それぞれの操縦性能に応じて異なるため、見合い関係における危険の有無の判断に少なからぬ影響をもつのではないかと思われる。例えば、港湾では大型船の操船者から小型船の航法について危険であるとの苦情が出ることが多いが、小型船の方では、別に危険を感じていないというのはよくある例である。
従って、それぞれの船舶が決して一様でない判断基準をもとに海上に交通路を選定しながら航行しているのが海上交通であり、判断基準の異なる操船者が見合い関係になれば、判断の内容にも差異が生じる可能性があることは容易に想像できるであろう。
今一つは誤った判断基準の形成の可能性である。船員はさまざまな海域において、多数の船舶との見合い関係を処理することによって衝突回避の経験を重ね、知識を蓄えていくわけであるが、これらの過程において、常に状況を正しく把握し対応できるとは限らないから、当初の判断と実際に起きる状況に較差が生じることが考えられる。
較差が大きくなりこれに対応できなくなれば事故に発展することになるが、較差の程度によっては幸運にも事故に発展することなく見合い関係が処理された場合、操船者が自らにも判断ミスがあった

 

 

 

前ページ   目次へ   次ページ